月光
★黒鶫の歌
夜風にあたろうと中庭に出たら、秋の闇に消え入りそうなくらい小さな声が聞こえた。
…秋だし、出るわきゃねぇだろ。
明らかに震えているタバコの持つ手を、左手で思いっきり抓り、平常心を必死に取り戻ろうとする。
こんな姿を総悟に見られたら、…。
想像するだけでも怖ろしい。
が、まだ見ぬこの声の持ち主の方が、よほど怖ろしいのは確かだ。
その姿を確認したいような、何も見なかったままにしたいような。
どうしようかいろいろと悩んでいる間に、声がだんだん大きくなってきた。
おおおおおお俺の気配を察知してか?!
侮れないヤツだ!!
逃げ出したい衝動を抑えつけて、忍び足で声の方角へ進む。
近づいていくにつれ、それが女の声で、何だかよく分からない歌を歌っているのが分かった。
こんな夜遅くに何やってんだ。
他の隊士の迷惑も考えやがれ。
デカイ気持ちでいれば、怖いものなど何もない。
注意しようと意気込んで、膝が折れそうな足を気力で動かした。
喉の一歩手前まで来ていた牽制は、息と共に呑みこまれた。
そこにいたのは、だった。
人工的な電燈もささやかな蝋燭の灯も、全く必要ないくらいの琥珀色に照らされている。
漆黒の髪に、その黒に嫌なほど映える白い肌。
細い首がさまざまな音階に沿って伸びる様子は、扇情的でなんとも艶っぽい。
ゴクリ。
俺の身体の一部である喉仏が、まるで別の生き物のように動いた。
本気で歌っているとは思えないが、それでいても、そこら辺のふざけた歌手より余っ程上手い。
歌詞は聞き取れないが、そのメロディはとても神秘的なものだった。
少なくとも俺にとっては。
聞いたことのない曲だ。おそらく、あいつの星の歌だろう。
取調べのときの飄々とした顔とは全く違う顔。
表には出さないだけで、心の中は本当は不安で埋め尽くされているのかもしれない。
見知らぬ土地に、仲の良い女友達さえも作ることのできない環境に、
ずっと独りっきりでほったらかしにしていたのだ。
しかもお前を疑っているという態度を、受け入れていないという姿勢を、
俺はずっと崩すことなく示してきたのだ。
くそ。
気遣ってやれなかったことを悔やむ気持ちと、なんで俺がこんなに気にしなきゃならねぇんだという反発が錯綜する。
ふと、その声が震え出したのが分かった。
ハッとして、気配を悟られないようにもう一度その姿を瞳に入れた。
月明かりに一筋の水跡がキラキラと輝く。
濡れた睫毛は、同じ色の闇に溶けることはない。
流れ落ちる涙を拭うことなく、月の光を浴びて一心に歌い続けるさまは、救いを請うか弱い黒鶫のように見えた。
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