月光
★手乗りの月を君に
薬局をすごい勢いで出てきた後、俺は少しながら、あいつに対して申し訳ない気持ちになった。
年頃の女がそんなに親しくない男の前で生理用品を買う何ぞ、かなり勇気のいる行為だったと思う。
それなのに、俺ときたら。
あいつの言う通り、気遣いってもんが足りなかったのかもしれない。
いやいや、何で俺がこんなに落ち込まなきゃならねぇんだ。
あいつ自身にもいっぱい問題があるだろ。
『少し視線外してもらえませんか』とか、『ちょっと男性の前では買いづらいものなので』とか、
遠慮した物言いだってできたはずだ。
とういうか、してほしかった。
ちったぁ素直になりやがれっつぅんだ。
減らず口ばっかじゃなくて。嬉しいときは笑えばいい、辛いときは泣けばいい。
素直に感情の赴くままに、表情をクルクル変えてほしい。
あの日、秋の夜長に歌っていた日みたいに。
あれ以来、あいつの目の周りが朱い日はなかった。
強がりなあいつのことだ。
弱った自分自身が許せなくて、誰にも相談せずに気を張っていたに違いない。
そんな毎日の中に、少しでも糸を緩めてあげる日を与えたくて買い物に来たのに、これじゃリラックスも何もない。
新選組の参謀も、一人の女の前ではただの男だ。
『うまくいかねぇもんだな。』
自分自身の煮え切らない態度にイラついていたせいか、気がつけば薬局からかなり遠くに来ていたらしい。
よく町娘たちが行き交う、簪屋の前に俺はいた。
俺には関係ないものだ。
そう思い、踵を返そうとした瞬間、モヤモヤの元凶であるあいつが髪をうざったそうにしていたことを思い出す。
料理長がよく料理に髪の毛が入るだのなんだのって怒ってたな。
俺はあの流れる感じが好きなんだが。
ってなに言ってんだ。アホか、俺は。
ひとえに簪といっても、たくさんの種類があるものなのだと感心する。
そんな色とりどりの簪の中に埋もれてしまいそうなほど、控え目なひとつが目に留った。
『お兄さん、プレゼントですか?』
『アァ、まぁそんなとこだ。』
プレゼント…。いざそう聞かれると恥ずかしいもんだな。
『お兄さんみたいないい男からプレゼントもらうなんて、よほどお相手のお嬢さんは別嬪さんなんだろうね。』
『あ…、んなこたねぇよ。』
『そんなお兄さん、謙遜は止めてくださいよー。』
驚いた顔を見せて、簪屋のおやじがお決まりのフォローをする。
謙遜なんかではないのだ。
特別可愛いわけでも綺麗なわけでもない。
でも人好きのする顔で笑う。
スタイルがいいわけでもない。
でも白い手首は折れそうなほど脆い。
頭が切れるわけでも武術に長けてるわけでもない。
でも自分の立場を踏まえて、人の邪魔にならないようにてきぱきと働く。
そうだ、あいつは別嬪なんかじゃなく、
『…あいつは、いい女だよ。』
無意識のうちに零れた言葉を渡し、銀色の軸に琥珀の球体をつけた簪を受け取った。
この琥珀色の玉が、あいつの漆黒の髪によく映えることだろう。
そう、あの夜の、空に浮かぶ満月のように。
きっと俺は、あの満月の夜からあいつのことが気になって仕方なかったんだと思う。
それが恋にせよ、そうじゃないにせよ、俺は気づかぬうちに細かい星の海に溺れてしまったのだ。
手のひらサイズの夜空を胸に、足早に黒髪の女の元へと向かった。
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