月光



★鋭い者



“女中は一人で外に出れねぇんだよ。”


『え、それって…。』
『なんだ、山崎。』
『いえ、何でもないです。』


それってデートじゃん!!
そんな決まりあったら、買い出し女中なんて存在しないでしょ!!

思わず突っ込みそうになったけど、副長の有無を言わせぬオーラに圧倒されて何も言えない情けない俺。
そして、それを本当の規則だと信じているさんが不憫でならなかった。


副長がさんを何となく気にしている様子は見て取れた。

でもそれは端に、攘夷の疑いが濃いとかそういった類のものだと思っていた。
第一、副長が取調べするなんて滅多にないことだから、結構屯所内は賑わってたしね。
主な原因は沖田隊長が吹聴して周ってたせいだけど。

さんは危険人物だと思わせる行為、気配は全くないが、
はっきりとした素性は分からない謎に包まれた女性だ。
何処からどうやって何の目的で江戸に来たのか、詳しいことは何一つ明かされていない。
怪しいことこの上ないが、近藤さんの人を疑わない気質のおかげで、さんはここで働くことになった。

そして俺は、最近これといった大きなヤマがないので、副長の命令で屯所内にいる間はさんの行動を観察することを任せられた。

朝の料理番として女中の仕事に就いたさんと接近するため、
普段はあまりとっていなかった朝食を、早起きしてとるようになった。
屯所内で浮いてしまう可能性が出てしまうので、過度な接触は出来ない。
妙に親しくすると、前科持ちの沖田隊長が変な噂を吹聴して周るに違いない。

一週間ごとに、眼に見える情報の範囲内で彼女の勤務態度についての報告書を提出する。
料理番としては、いたって真面目。
お皿の洗い方から大雑把なところが見て取れるが、適応力はかなり高い。
自分のポジションをきちんと理解して働いているようだ。

こんな些細なことしか書かれていない俺の報告書を、副長は毎回真剣に読んでいた。
そこまで疑っているのか。
何の変哲もない、どこにでもいる女なのに。
俺は何をそんなに気にするのか、全く理解できなかった。


ある朝、赤い目でさんは働いていた。
昨晩何かあったのだろうかと、いつもより注意深く彼女の行動を観察すると、何だか動きが不自然なことに気付いた。
洗い物のペースが遅いのだ。
なぜだろうと疑問に思ったが、そこまで構う必要があるのかと冷静な自分が思考を止める。
そんな俺に対し、副長はこんなことを言ってのけた。

『あいつの手が荒れているから、薬でも渡しとけ。それと、こいつで気分転換でもさせろ。』
『こいつにマシな格好させてやれ。』
まさか副長がただの女中、しかもそんなに可愛くない女をここまで気にかけるなんて。
自分でもかなり最高の出来だと胸を張れるくらい綺麗になったさんを目の前にして、副長の動きはわずかの時間だが止まった。


副長がさんを何となく気にしている様子は見て取れた。

それが“恋”とか“愛”とかそういった類のものだと、その瞬間、認識できた。
無自覚にせよ、彼の彼女への視線は愛しむような優しいものだ。
女には困らない色男だからこそ、
粉の匂いもしない、香もたかない、自分に恋愛としての目を向けない、ごく普通の女に溺れてしまったのか。

副長と一緒に買い物に行けるというのに、媚びたように喜ばない様子から、彼女の気持ちはどうだかわからない。
だけど、買おうと思っていたラケットが店頭から姿を消していたときのような、一種の空虚感が生まれた。

俺の方が、先に仲良くなったのに。

歌舞伎町の人の波に紛れて消えて行く鮮やかな橙色と山吹色のツツジが、やけに俺の目に残った。



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