夢のない女なりの浪漫思想
『お、俺は怖くなんかないからな。』
その青ざめた顔、威厳のない震えた声、すっかり引けてしまった腰。
そんな状態にも関わらず、私の眼の前にいる男は口先だけは男らしいことを言ってのける。
いい加減、認めてしまえばいいのに。
本当は私も心霊系のモノは苦手なのだが、自分より怯えている人を見ると冷静になれるものだ。
いや、ならざるを得ないといったほうが正しいかもしれない。
だいたいなぜこのような事態になってしまったのだ。
あぁ、そうか。
毎度のことながら、あのサディスティック星からやってきた甘いお顔の王子様のせいか。
ったく、余計なことばかり提案してくれるものだ。
でも一番腹が立つのは、きっぱり拒否できない自分の性格だ。
いや、職業の立場上の問題もあるんだよ?だって私、新入りの女中ですから。
でもどうこう文句を言っていても、この状況が変わるわけではない。
意を決した私は一歩を踏み出す。
考えるより行動した方が速いに決まってる。
“町内肝試し大会”とその場しのぎで書かれたような垂れ幕の下を通り、いざ肝試し開始!!
…。
『あの、動かないと始まらないのでさっさと行きましょうよ。』
『お、おぅ。』
『早く終わらせれば、怖い思いもそんなにする必要ないじゃないですか。』
『だだだだだ誰が怖いなんて言ったんだよ!』
どもりすぎだよ。
私とあんたしかいないんだから、あんたが怖いと思ってるって思ってるに決まってんでしょうが。
そうは思うものの、さっきも言ったように立場の違いなどから遠慮しなければならないこともあるし、
言ってもどうせどうでもいいやりとりの往来になることになることは容易に想像できたので、私は何も言わない。
その代わりに嫌味ったらしく聞こえるようにわざと大きく溜息を吐き、私は先ほどの言葉通りさっさと歩き出す。
そんな私の後ろを追いかけてくる、草履の忙しない音が夏の夜の静寂に響く。
『お前、怖く、ないのか…?!』
『土方さんは怖いんですか?』
『こ、怖くねェよ。』
『だったら私がどう思ってようが、関係なくないですか?』
『…それもそうだな。ハハハ。』
なんだ、その乾いた返事。
あまりの頼りなさに多少のイラつきを感じながらも、整然と石畳の上をゴールに向かって進む。
月の光だけが照らす、離れた二つの影。
ガサッ。
何も出てこないが、反射的に身体がビクついてしまう。
音のした方から眼を進行方向に戻し、ほうと安堵の息をつく。
『…、実は怖いだろ。』
『怖くありません。その言葉、そっくりそのままお返しします。』
本当はかなりビビッたけど、吸い口と吐き口を逆にしたタバコに火つけようとしてる土方さん見たら、なんだか拍子抜けした。
なんだ、平常心でいれば肝試しなんてこんなもんか。
そんな風にタカをくくっていたら、眼の前に、頭に矢の刺さった落ち武者がものすごい剣幕で立ち構えていた。
『『…ッッッ!!!』』
声にならない叫び。変な汗が出ている。
『土方さ…!!』
助けてと隣を確認するが、そこには誰もいない。
嘘でしょー?!この状況でそれはないんじゃないの?!
逃げ出したい衝動と置いてきぼりにされた怒り、どうしようもない虚しさが恐怖で圧迫された胸のうちで混じり合う。
私もこの場から立ち去ってしまいたいが、生憎腰が抜けてしまって動けない。
しかも、怖いはずなのに眼の前の存在から視線も逸らせない。
…恐怖以外のことを考えるんだ!
この人、時給いくらなのかな?
自分から落ち武者になりたいと志願したのかな?
お化け役の面接って何を重視するのかな?
…。
ってか、私たちが来るまで、この人こんな暗い中たった一人でスタンバってたんだよね?!
そっちのが怖くないか?!
すごい、この人すごいよ!!
孤独と恐怖との闘いを制した漢だよ!!
仮にもか弱い女の子(こういうと語弊があるかもしれないが、私の中ではそんなこと問題ではない。)と一緒に肝試しに来ているのに、
自分のことで精一杯で隣を顧みないこの男にその度胸分けてあげたいものだわ!!
こんな下らないことをひたすら考えていると、落ち着きを取り戻すと同時に沸々と怒りが煮え滾ってきた。
沖田くんの気まぐれにせよ何にせよ、“好きな人”と一緒に、恐怖スポットに来たのだ。
『キャー、怖い!』
『大丈夫、俺が護ってやるよ。』
とか、そんな展開期待してたわけじゃないけど、いやちょっぴりしてたけど!
そんな配慮がお前にはないのか!
…やはり“女”として意識されていないのだろうか。
“護る”対象に入っていないのだろうか。
こんなお化けよりももっと暗がりで不安定で未確認的な存在が、私の中でぐるぐると回る。
それは眼にも見えなくて、耳で聴くこともできなくて、この手に掴むこともできなくて、
心でしか感じることができないもの。
遣る瀬無くなって、落ち込んで、そうこうしてる内に落ち武者はいなくなっていて。
『そこに居るんでしょ。何してるんですか、行きますよ。』
境内の脇にある小さな木の陰に居る、不自然な真っ黒な魂に話しかける。
こんなに情けなくて、ある種滑稽な姿を見ても、微笑ましい愛しさが込み上げてくるのは、
惚れた弱みだなぁとしみじみと思う。
『…ほら、こうしたら怖さ、2分の1になるでしょう?』
こんな目に見えるお化け役の人なんかより、怖いのは大好きなあなたから拒絶されること。
希望がないと分かっていても好きという気持ちは消えなくて、いろいろ画策するよりこの身を動かした方が速いと分かっている私は、
鳥居の下を通ったときより勇気を振り絞って彼の手をさり気なく取る。
『…俺は怖くなんかねェからな。』
拗ねたようにそう言って、私を引っ張って歩くちょっぴり怖がりな男の人。
『はいはい、分かってますよ。私が怖いんです。』
呆れながら隠していた本心を言えば、握り返された手の力が強くなって、胸がドキッと跳ねた。
繋がれた部分は、どちらのものかなんてわからないくらい汗ばんでいた。
******あとがき******
第八十二訓”渡る世間はオバケばかり”から。
沖田はきっと確信犯。
そして私が書くと、土方さんがヘタレになってしまいます。
本当は格好よく書きたいんだけどね。