月光



★第65話 未来へ



ガバッッ!!
『ハァ…ッハァ。』

木枠のベッド。
業務用の机。
くるくる回る椅子。
薄型テレビ。
白いパソコン。
本棚にはたくさんの教科書。
乱雑に放り出されたグレーのスリッパ。
目の前の白い壁にかかっているのは、合同企業説明会で着るために用意していた黒いスーツ。
懐かしいとも思える、私の本当の日常の世界。

まさか…。
『夢オチかよ…。』

思いっきり突いたはずの喉からは、一滴の血も出ていなくて。
生きていたことに感謝はしているが、何ともあっけない結末。
『それにしても、後味の悪い夢だったな…。』
ざわめく心とは反対に、頭は忙しく現実へと意識を引き戻す。
ドアに掛けられたフェイスタオルを片手に、廊下へ出て洗面所に行く。
顔を洗い、トイレを済ませ、部屋に戻り、テレビの電源を入れる。

“10月27日の今日のお天気は…”

あぁ、やっぱり1日しか経っていない。
やっぱり本当に夢だったんだ。

安心したような、残念なような。
複雑な心境のまま、今日参加する説明会を主催する企業の就職サイトのメールチェックをする。
スカウトのメッセージボックスを開いてみた。
なんの当たり障りもない、企業からのお誘いメール。





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さんの自己アピールに目を通し、ぜひ一緒にお仕事をしたいと思いましたのでメールを送らせていただきました。
私たちの会社では…
……
私たちと一緒に働いてみませんか? 

出版会社・登勢

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信じられなくて、おかしくて、胸がドキドキなって、嬉しくて、目尻から一筋の涙がこぼれた。
私が思っているより世界はもっと広くて、

今この目で見ることができるもの、
この耳で聞くことができるもの、
この鼻で嗅ぐことができるもの、
この舌で味わうことができるもの、
肌で感じることができるもの、
頭で考えることができるもの、
心で受容することができるもの。

これらすべての事象は、すべての次元で起こるすべての事象から見れば、一握の砂にすぎないのかもしれない。
そうだとしたら、私が体験したような状況は、周りがもしくは体感した本人も気付いていないだけで、本当は誰もが経験している出来事。

働く充実感を教えてくれた。
信頼される安心感を教えてくれた。
必要とされる充足感を教えてくれた。
人を愛する喜びを教えてくれた。

新選組で過ごした数ヶ月間をただの夢と受け取るのか、これからの始まりと考えるのか。
それはこの摩訶不思議な会社で社会人として働く私の、気持ちの持ちようによるのかもしれない。



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