Laugh away
4月1日A
新宿歌舞伎町。
最近の小説家さんは、こんなところにお住みになるのね。
まぁ出版社から近くて有難いと言えば有難いですけど。
そして、メモに載っていた住所通りの家って…。
『ここ?』
一言で言うと、ぼろぼろ。
都内で一戸建てというのはたいそう立派なことだが、年季が入っているのは遠目からでも分かる。
近くまで来て見てみると木製の壁はところどころ朽ちていて、昨日まで続いていた雨の影響からか、本来の色より水を含んだため濃くなっている。
地震が起きたら、簡単に崩れてしまいそうなほど脆く見えた。
失礼な話、大正時代に建てられた私の祖父の家にそっくり。
やっぱり小説家ってピンからキリまでだし、儲かってないのかしら。
この方とお仕事をしてる、うちの会社のこれからも大丈夫なのかしら。
いえ、きっと先生には人徳があるのよね。
だからこそは登勢さんも長く一緒に仕事をしてるのだわ。
うん、きっとそうよ。
最初の挨拶ということもあり、手土産のイチゴのショートケーキの入った箱を持つ手とは逆の手で胸の前に拳を作り、うんうんと頷く。
こういった、根拠のない前向きな自己暗示は私の得意技だ。
意を決して、おまけ程度に備え付けられたインターホンを押してみる。
…鳴らない。
まさか、本当にただのお飾りだとは。
数秒前の私の緊張を返せ!
気を取り直して、すりガラスの戸を手の甲で叩く。
『おはようございます。登勢出版の
です。原稿をいただきにあがりました。』
ドタバタ…。
中から廊下を走ってこちらに向かう足音が聞こえる。
多少歩き方が大胆なようだが、その動作の割に音の大きさが激しくないことから、体重は重くないと考えられる。
小柄な女性かもしれない。
すりガラスの引き戸にうつる影がどんどん大きくなってくる。
いよいよこれから社会人となった私の、初めての仕事相手との遭遇…。
ガラガラ。
『いつものメス豚じゃないアル。お前誰ネ?』
『え?!』
対応してくれたのは酢昆布を口にくわえた、桃色の髪、青い瞳のチャイナ服を身にまとった少し言葉に訛りのある少女。
まさかこの子が小説家?
まさか、まさかね。
それにしてもいつものメス豚って…。
私も今日会っただけで変なあだ名をつけられてしまうのだろうか、恐ろしい。
とりあえず何か会話をしなければ、この微妙な空気にのまれてしまう。
自分より年下の子と話すことに苦手意識はないので、いつもより1オクターブほど高い声で尋ねてみる。
『先生のお子さんかな?えっと、登勢出版の
と申します。先生はいらっしゃいますか?』
『先生って誰ヨ?』
そんな矢継ぎ早に聞かれても、と正直焦っている内心を悟られないよう、笑顔で必死に対応を試みようとした瞬間
『そんなでかい子どもがいるほど、先生年取ってないよ?』
少女の後ろに現れたのは、ふわふわの髪と同じ、まるで掴みどころなんて全然なく、死んだ魚のような眼をした不思議な男性。
うわ、やる気なさそう。
こんな失礼な第一印象を抱かれていると知ってか知らずか、目の前の男は顔色を変えることなく抑揚の全くない声でこう続けた。
『ど〜も初めまして。“いちごみるく”こと、坂田銀時です。銀さんって呼んでね。』
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