月光



★第7話 スイッチオフ



長いため息をついた後、ほぼ意味をなくしたタバコをステンレスの灰皿に押し付けながら、
土方さんは形の整った口から白い息を吐き出した。
意外とあっさり信じてもらえたこと、初めて名前を呼んでもらったことが、何だか信じられなかった。
というか、拍子抜けだ。
もっといろんな腹のさぐり合い的なやりとりがあると思ったのに。


ついさっきまで一直線につながっていた視線の道は、土方さんが目を伏せたことにより途切れてしまった。
でも私の目は先ほどの軌跡を辿ったままだ。


少し腑に落ちない部分もあるが、信じてもらえたならこんなにラッキーなことはない。
いつまでいられるか分からないけど、これからこっちの世界で生活していくための準備をしなくては。


『あのー、こちらの世界での私の身分証明がほしいのですが。
あと、ここで使えるお金をいくらか貸してください。
お金は働いて分割で返しますので。』


あまりに私が現実的なことを淡々と言い出したので、少し驚いたのかもしれない。
調書の彼は筆をカランと手から転がし、土方さんは二本目のタバコをポロッと落としていた。
だって不法滞在は体裁が悪いから嫌だし、金のない路上生活もまっぴらごめんなんだもん。
土方さんの顔を窺ってみると、切れ長の目を見開いたままだった。


『何か?』
『いや、取調室でこんなに落ち着き払ったヤツは久しぶりでな。
しかも信じるといった途端、交渉をしてくるなんざぁ随分と切り替えが早いもんだと感心してるとこだ。』
『お褒めのお言葉、ありがとうございます。』
『いや、これ嫌味だから。』
『それくらいわかります。だから私も嫌味を返したんじゃないですか。』


あ、動き止った。なんかうぜぇって顔してる。
土方十四郎という人間のフレームがつかめてきたぞ。結構いじりやすいんだな。
調書の彼は、苦笑いで私たちを見ている。
あの困った笑顔にはおそらく、『あぁ、余計なことを…。』という蔑みの念も含まれていることだろう。
彼の手元を見てみれば、几帳面な字で と記されている。
筆を落としたときについてしまったのであろう、丸く黒い斑点がところどころ飛び散っていて、
なんだかダルメシアンの模様のように見えて口元だけ笑ってしまった。


なんとな〜く気まずい空気が流れる、小さな小さな取調室。
6帖ほどの窓のない四角い部屋には、細長い蛍光灯が申し訳なさそうに明かりを点している。



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