月光



★第18話 たった一人のコンサート



こちらの世界に来て、もう2週間ほど経った。
環境の変化に適応しやすい私は、すでに仕事にも慣れてきた。
着物だって、上手にとは言い切れないが、一人で着れるようになったしね。

近藤さんを中心とする新選組の重鎮の方々も、他の隊士たちも女中のおばさんたちも、みんな優しい。
私はかなり良い待遇を受けていると思う。
その状況にも、与えられた仕事を忠実にこなしている自分にも満足している。
毎日が楽しいし、充実している。


でも、私は果たしてこの環境に甘んじていていいのだろうか。


何もすることのない一人の部屋で、毎晩物思いに耽る。
本当は現実の世界で、大学三年生としてやらなければならないことがたくさんある。

企業説明会にだって行かないと。
したくないけどプログラミングの勉強もちゃんとしないと。
今月受ける予定のTOEICのCDだって聞かないと。
ゼミの最終プロジェクトの流れだってメンバーと議論しないと。
少し倦怠期だった塾講師のアルバイトだって、生徒のためにも行かないと。


薄い障子を静かに開けて空を仰いで見れば、藍色のビロードに琥珀色の満月が自己主張するように輝いている。

向こうの世界でも同じ景色が見れるのかな。

私の住んでいた街は、東京にしては自然がいっぱいで、空気も幾分か澄んでいたのか、星の瞬きを肉眼で観察できた。
心の奥底から頼れる人がいない環境というのは、かなり堪えるものがある。

就職活動で悩んだり、バイトで行き詰ったときにアドバイスしてくれたお母さん。
元彼と別れた後サークルの人間関係がうまくいかなかったときに、いつも愚痴を聞いてくれたり、
かわいい雑貨屋さんや洋服屋さんのウィンドーショッピングをしたり、本当に下らない些細な話で笑い合えた友達。
あぁ、会いたいなぁ…。

目映いほどの光を放つ球体に、焦がれるほどの想いを馳せた。
他人の輝きを受けて、ここまで柔らかい明かりを灯すことのできる物体を羨ましくも思った。

ふと、“月光”を口ずさんだ。

友人が『ちゃんの声に合っている!』と褒めてくれる曲だ。
大好きなカラオケも、こっちの世界では歌える歌など一つもない。
何か歌える曲があったとしても、一緒に行ってくれる人もいない。
と言うか、根本的に外出許可されてない…。

隔離されている私の部屋の近くには、人の気配はほとんどない。
胸の中は虚しい気持ちや寂しさで溢れいるはずなのに、周りの状況判断が冷静に出来る自分に何だか笑えてくる。
夜の帳に向かった人への迷惑も、背筋に感じる肌寒さも気にしない。

サビに向かうにつれて感情的になってきた私の声は、次第に大きくなっていく。
涙交じりの掠れた声で奏でられた切ない旋律は、星空の彼方にキレイに舞い上がっていった。



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