月光



★第20話 つっかえ



複雑な気持ちのまま部屋に戻った。

私としては必死に仕事をして、その証、あるいは誇りとも言える傷を、
“汚い”と受け取られたのはかなりショックだった。

確かに以前のキレイな手に戻りたいとも思う。
この紅を押さえたいとも思う。
だけど、この手の傷を非難すると言うことは、私の今までの仕事の成果を否定するのと同じこと。
それはどうしても許せなかった。


さん?山崎です。』
『…?どうぞ。』
『失礼します。』

山崎が部屋に来るのは、初日以来だ。
それから食堂で会っても、そんなに会話をした覚えはない。

部屋に入ったはいいものの、ずっとキョロキョロして所在なさげだったので、とりあえず座りなよと促した。
私の部屋には座布団がないので、畳の上に直に腰を下ろした。

一体、何の用事だろう?

不思議に思っていると、山崎の視線が私の荒れた手に注がれているのに気付く。
その眼の力に、思わず手をひっこめる。
ついさっき、彼と同世代の男の子に冷やかしを受けたばかりなのだ。

『これ、軟膏。塗っておくといいよ。』

私の方に“オコナイン”と描かれた円柱の容器を、蓋を開けた状態で向ける。
私の知っている既存の商品との品質の違いが懸念されるが、文句など言ってられる状況ではない。

『…ありがとう。申し訳ない。』

この傷だらけの手では、障子を開け閉めするのも辛かった。
右の人差し指の腹で、癖のある匂いのホイップクリームのような軟膏をいっぱい掬う。
治れ、治れと念を込めて、切れ目の一つ一つに塗りこんでいく。
手全体に満遍なく白いベールを被せれば、私の心にも膜が張られたような気がする。

このベタベタ感あんまり好きじゃない。

手をこすり合ったり、パタパタさせたりして、できる限り乾燥させる。
その私の様子を黙って眺めていた山崎が、澄んだ目をして尋ねた。


『年頃なのに、こんな仕事して辛くない?』

今、その質問は正直重い。
本当は嫌だ。
カワイイ服だって着たいし、外に遊びに行きたいし、こんな朝早くから働くなんてやってられない。
我がままを言い出せばキリがない。
だけど。


『…それは山崎くんに対しても言えることじゃないの?命懸けの仕事内容じゃない。』


その通りだ。
目の前にいる少年は、自分の人生を懸けて、新選組のために身体を張って闘っているのだ。

『…確かに。当たり前すぎて考えたこともなかったよ。』

右頬を人差し指でポリポリ掻きながら、へらっと笑って言う。
その態度を見て、私はハッとした。


たかが上皮組織が破れてしまっただけではないか。
私の活動源である生命力が削がれたわけではない。
喉に錆色の切っ先が突き当てられる恐怖を味わうことはない。
この胸の鼓動を突き刺す刃に襲われることはない。
腹を裂かれる痛みを感じることはない。
敵に見つかるかもしれないと言う緊張感で震えることもない。

何て私はちっぽけな人間なんだろう。

生きている限り、時間はかかるかもしれないが、痕は残るかもしれないが、傷は必ず癒えるのだ。
私とは比べ物にならないくらい、大変で厳しい仕事をしていながらも、
それを“当たり前”だと言ってのける山崎に畏敬の念を抱いた。
そして、私の中で何か改革が起きた。


さんの部屋に来たのは、もう一個用事があったからでね…。』


ダケカンバはもうすでに、憑き物が落ちたように黄色のワンピースを脱ぎ捨てていた。
季節はもう、冬へと向かっている。



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