月光
★第22話 煙の部屋
土方さんの部屋は隊士の住居スペースの中でも、かなり奥の方に位置していた。
当然、部屋の場所など知らない私は、いろんな隊士とすれ違う度に副長室の在り処を聞き、その都度好奇の視線を注がれる。
長い廊下を彷徨い続け、やっとのことで辿り着いた。
紅い空は、藍色と紫のグラデーションで彩られていた。
簡素な中庭には、私の部屋の前のと同様、
冬に向けて養分を蓄積するために余計なものを全て取り払ったダケカンバが、お飾り程度に植えられていた。
その横には、大きな布団干し竿が堂々と構えている。
副長というお偉いさんの御前に、布団干し竿があるなんて。
まぁ、良い意味でそうゆう形式に捉われている人たちではなさそうなので、たいして気にしていないのだろう。
障子にノックは出来ないので、声が通るようにハキハキと言う。
『土方さん、いらっしゃいますか?です。外出届を提出しに参りました。』
『入れ。』
『失礼します。』
た、タバコくさ…。
コーヒーショップの喫煙席と同じ臭いがする…。
この部屋の空気全体が靄がかってる気がするのは、私の目が霞んでいるからではないことを祈る。
あまりのきつさに顔をしかめそうになったが、上司の前では失礼に値すると思い、必死に平気そうな顔をした。
パソコン机で作業の手を一時中断した土方さんに、近づきすぎず遠すぎず適度な距離を取る。
『失礼します、こちらが届けになります。』
『おぅ。』
タバコを如何にも高級そうな灰皿に擦り付けて、私の両手から届けを受け取る。
長い睫毛から覗く黒目が、左から右に滑らかに移動する。
ふと、その眼がこちらに向けられる。
一瞬その格好良さに心臓が跳ねたが、何でもない表情を取り繕う。
『…慣れたか?』
『ボチボチです。』
『そうか、上はお前を褒めてるぞ。飲み込みが早いんだと。』
『それは光栄です。しかも副長の口から言葉がいただけるとは、私は幸せ者です。』
『そう思うなら、もっと嬉しそうに言えや。』
『感情表現が苦手なもので。良ければ、お手本を見せてもらえますか?』
『・・・・。』
自分の口に達者ぶりに毎回驚かされる。
土方さんは何とも言えぬ複雑な表情で、再び視線を紙面に戻した。
じっと見つめておくのも何なので、私は土方さんの部屋を見渡す。
布団はきちんと押入れに入れてあるのだろう、畳の上には余計なものは何もない。
新選組の始末書や重要書類などで溢れてるの想像していたのだが、
貴重面っぽそうだし(どっちかと言うと、神経質って感じだけど)綺麗好きなのかもしれない。
もしくは、土方さんの世話係が甲斐甲斐しく部屋の清掃をしているという可能性もある。
担当がこれだけ格好良ければ、面倒見たくなる気持ちも分からなくはない。
無意識のうちに視線を土方さんに戻していた私は、不意に彼と眼が合う。
そして。
『ほらよ。』
『?』
私の擦り切れた手の上に、少し厚みのある真っ白な封筒。
それが給料だと、私はすぐに理解できた。
その重みをこの胸に感じた。
私が社会人として働いて、そしてそれが“給与”という形になって返ってきた瞬間。
『あ、ありがとうございます。』
達成感と充足感でいっぱいになって、思わず心も顔も綻んだ。
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