月光
★第30話 甘い誘惑
定食屋から出た後の私たちは、薬局から出た後とは少し変わった気がする。
今までとは違う気の遣い方をしてくれているような、そんな感じがした。
買い物袋を全て持ってくれる。
慣れない着物で歩く私に、きちんと歩幅をあわせてくれる。
人混みでは、ぶつからないようにさり気なく盾になってくれる。
なんだかこしょばゆい。
そして、歌舞伎町の女性の熱い視線が、チクチクと痛い。
私を見ているわけでないことは明らかだが、居心地が悪い。
HPが大技ではなく、セコイ技をいっぱい浴びて少しずつ減っていく感じだ。
あぁ、心臓に悪い…。
彼女たちの目には、私たちはどのように映っているのだろう?
ただの仕事関係の女?
一方的に付き纏ってるウザい女?
たまたま隣で歩いている女?
…それとも、彼女?
あー、なんだか恋する乙女のような思想だ。
こんなの私じゃない。今は買い物に集中しなくては、せっかくの外出が無駄になってしまう。
目を閉じて、何が欲しくて何を買ったか頭の中で反芻する。
えーっと、ハンドクリーム買った。
ヘアピン、ゴム、生理用品、化粧水買った。
目を開けると、色とりどりの思い思いの着物を着た女の子たち。
…羽織、買ってない欲しい。
手袋、買ってない欲しい。
ピアス、買ってない欲しい。
お洒落道具…、着物…、着付け…、あっ!!
『あ、なんかお団子とかお土産に買って帰れそうなお菓子屋さんってありますか?』
『あぁ、あるにはあるが。』
『連れて行ってもらえませんか?買いたいもの、思い出したんです。』
『かなり歩くが大丈夫か?』
『はい。お願いします。』
『うわぁ、おいしそう…。』
確かにかなり歩いたけど、正直“まだかよ”とか思ってたけど、
土方さんの連れてきてくれたお菓子屋さんはとても雰囲気の良い落ち着いたお店だった。
ショーケースには黒色の漆塗りのお盆に、一口サイズのかわいらしい和菓子が鎮座している。
串刺し団子にようかん、おはぎに大福、栗甘露煮。
どれも美味しそうで目移りするし、思わずにやける。
色合いも種類も豊富で、何にしようか本気で迷う。
いかんいかん、私のお菓子を買いにきたわけではないのだ。
『山崎くんって何が好きか知ってます?』
『あぁ、山崎?』
『はい、いろいろとお世話になったのでお礼を。』
『さぁな、何もらっても嬉しいんじゃねぇの?』
『そうですか。ありがとうございます。すみません、この店の一番人気の商品ください。』
『はい。』
何個にするかとか、何種類入れるかとかそんなやりとりをいくつかして、上品そうなおばちゃんが薄皮饅頭の箱を包装している中、
やっぱり自分用に何か買っていこうかと、再びショーケースに目を向ける。
しばらく甘味とは無縁の生活を送ってきたせいか、静かに座っているお菓子たちがとても魅力的に見える。
“もう全部ください”とでも言ってしまいたい。
おばちゃんに声をかけられるまで、私は甘美な誘惑にただただ魅了され続けていた。
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