月光
★第47話 魔王
どのくらい佇んでいたのだろう。
手酌で飲んでいるビール瓶は、すでに3本目に突入した。
たった一人で、我ながらよく飲んだもんだ。
こんなに飲んだのは初めてだが、意識ははっきりと保たれている。
それはおそらく後ろで“どんちゃん騒ぎ”をしている、彼らと私のテンションの差のおかげだろう。
廊下と座敷を仕切る障子が、私と彼らの世界を区切っているようにさえ思えた。
耳だけそちらに集中させていると、
仕事の苦労話や自慢話、定食屋のあの子が気になるなどの恋話、えげつないほどの下品な話から、
グラスと氷がぶつかり合う音、酎ハイの缶を握りつぶす音、
“ありゃ、もう空だぁ〜”なんて言って空のビール瓶を畳の上に転がす音まで聞こえる。
飲んでいる様子は見ていないが、これだけの情報で、背中越しにいる彼らがどんな飲み方をしているのかが手に取るように分かる。
あの調子で飲み続けて、明日からの仕事に支障が出ないのか。
なんて“心配:呆れ=1:1”の表情になったが、
心から楽しそうな笑い声を聞いていたら、そんなもの必要ないように思えた。
それよりも、誰とも話さず一人で飲み続けてる私の方が危ないよなぁと、
人のことをとやかく言える飲み方をしていない自分に悪態を吐きながら、4本目の瓶をグラスに傾ける。
聴覚に回していた神経を戻して、全神経を視力にだけ使ってみれば、言葉には言い表せないほどの神秘に出会った。
石膏で塗り固めたような庭一面は、何の痕もなく滑らかで美しい。
斜めに折っていた膝を伸ばし、着物の裾を折り曲げて、踵まで一気に押し込む。
足の裏から“冷たい”という感覚が、熱を帯びた顔に浸透していく。
麻酔を打ったように痺れる痛みに背筋がぞくぞくして、それが妙に気持ちよかった。
『うわぁ、だいぶ空けたねぇ。』
驚いたような、呆れたような、間延びした声でてくてくと近付いてきたのは、
黒いタートルを着物の下に着た、防寒バッチリの監察方だった。
『山崎くん。』
『大丈夫?』
『意識あるし、大丈夫だと思う。』
『へぇ、結構強いんだ。』
『強いの基準が何かは分らないけど、酔っぱらったことはないかな。』
『えぇ?!本当に?』
『うん。』
これは事実だ。
私は“飲みすぎた!”という経験がない。
サークルでの飲み会でも、合コンでも、大学の先生との集まりでも、“絶対に飲んでも4杯まで”という自分ルールを持っている。
変にプライドの高い私は、周りに迷惑をかけたという後悔を残すことも、酔っ払って失態を犯す様を他人に見られるのは避けたいのだ。
『でも今日は飲みすぎちゃったかも。』
はははと乾いた声でこう言えば、そりゃそうだろうねと、笑って返された。
『で、どうしたの?』
ずっと立ったままだったので、自分の右隣をぽんとたたき座るよう促す。
山崎は少し考えるような表情をしたが、すぐにいつものはにかんだ笑顔でなり、
両手に持っていたガラスコップの片方を私の方へ差し出した。
一見ただの水のようだが、ほのかにお酒の香りがする。(自分自身の匂いではないことを祈るばかりだが。)
『何?それ。』
『一杯どうかなと思って。芋焼酎・魔王なんだけど。』
『魔王?!』
top
back
next