月光



★第50話 ガツン



『その髪飾り、どうしたの?』


暗い台所でビール瓶の片づけをしていると、後ろから静かに問われた。
ゆっくりと振り返れば、そこには妖艶な女が一人。
まるで鮮血で浸されたような真紅の着衣を纏い、先ほどまで鬼の副長を惑わしていた笑顔で、今は新入りの一女中を陥れようとしている。
この空気に呑まれては駄目だ。

『…先日、知り合いに頂きました。』

極めてゆっくり、落ち着いた様子で答える。
それにしても彼女は、一体何をしに来たのだろう?
私の片付けを助けに来たわけではないことは確実だが、
お目当ての相手を放ったらかしにしてまで、嫌いな人間を追ってくるものか?

あぁ、もしかしたら彼女はただ私に見せつけるためだけに土方さんと接触していて、
落ち込んでいるだろう私を、更に負の崖に突き落とすためにやって来たのだろう。
そうだとすれば、彼女の作戦は90%を超える確率で成功する。


『…新入りが、一人前に洒落っ気出しちゃって。笑っちゃう。』
いや、もう笑ってるじゃん。
『自分だけ、だなんて思っちゃだめよ。』
その言葉、そっくりそのままあなたにお返しします。
『…見てみて。このピアス。きれいでしょう?』
なんか嫌な予感がする。
『これね、十四郎さんからもらったの。』
お約束な展開にこちらが笑ってしまいます。
『はっきり言うわ。』
今までも、きっぱり・すっきり・さっぱり・はっきり、私の意向に関係なく好き勝手嫌味言ってきたでしょうが。
『あんたみたいな外見だけでなく、中身も中途半端な女はね、十四郎さんとは不釣り合いなのよ。』
じゃあ言わせてもらうけど、あんたは土方さんと釣り合う女性なのかよ。
『未だに“おい”だの“お前”だのって、きちんと名前も呼んでもらえない女と私では、彼の中の位置づけが違うわ。』
…確かに。
『あなたは真面目が取り柄の、ただのお仕事マシーンに過ぎないのよ。』


崖の淵から私の背中を軽く押した彼女は、何事もなかったかのように去って行った。
私が底へ落ちたことを確認してから。

あぁ、この感情をなんて言うんだろう。
悲しみ?
怒り?
ううん、そんなものじゃない。
そんなもの通り越して、ただただ悔しい。
そうだ、悔しくて仕方ない。

こんなに中傷されても言い返せない自分の気の弱さ。
彼女の言い分に妙に納得してしまう自信の無さ。
心許ない言葉に泣きそうになってしまう自分の不甲斐無さ。


『おぅ、遅かったな。』

本当はあまり顔を見たくなかったけど、雪の中を歩いてまで部屋に帰る元気はなかった。
寝ていることを期待していたが、避けて通れない廊下でさっきまでの私のように一人酒をしている。
普段なら一緒にいたくて仕方がないのと思うのに、今はただ気まずくてしょうがない。

『よのは一緒じゃねぇのか?』

…本当に名前で呼んでるんだ。しかも呼び捨て。

『…先にお休みになるそうです。』

私の名前は、こんな優しい声で呼ばれる日が訪れるのだろうか。
名前で呼ぶ。
たったそれだけのことが、私と彼女の差を明確に表しているように思えた。

『おい、顔色悪ぃぞ。大丈…『優しくしないで下さい。
私みたいに外も中も可愛くない女は、土方さんみたいな方にほんの少しでも優しくしてもらうと、すぐ付け上がってしまいます。』

髪に伸ばされた手を、無意識のうちに払った。
はっと気がついたら、目の前には今まで見たことのない、愕然とした表情の土方さんがいた。




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