月光
★第51話 拙い慰め
『…なんかもう、消えちゃいたいなぁ。』
謝ることも言い訳もせずに、一心不乱に走り出してしまったのはほんの数分前の出来事。
夜の空気に守られて、姿かたちを留めている自然の絨毯。
目の前の世界が真白であるだけ、私の記憶はより鮮明に色付く。
彼女の耳を飾っていた一生溶けることのない銀細工の雪の結晶だったり、
何を映しているか分からない真っ直ぐな彼の目だったり。
あのとき、大人しくあの優しい手を受け入れていれば、こんなに後ろめたい思いをせずに済んだのだろうか。
『何でィ、その顔。引きやすぜィ。』
『…別に、今更沖田さんに引かれようがなんだろうが、構わないので関係ないです。』
『おぉ、怖ぇ怖ぇ。、切れてんの?』
『…キレてないっすよ。』
右手の人差し指をピッと立てて、左右に緩く振ってみせる。
ケラケラ笑う沖田。
こっちでもこのギャグ通用するんだなんて、イライラしている頭で思った。
酔っぱらっていたせいになんてしたくないけど、私のあの行動はお酒の力によるものだ。
自分の気持ちに対しての抑制ができない。我慢ならない。
理性がなくなってしまうなんて、今までの経験からじゃ絶対考えられない。
『すげェ顔。』
いつの間にやら寄っていた眉間の皺に、ぐりぐりと力加減を考えず押し付けられる人差し指。
『…あの、地味に痛いです。』
『痛くしてるんでさァ。』
楽しそうに笑う様は、まさにサディスティック。
変に納得していると、可愛い顔には不釣り合いの意外と大きな手が、私の左の頬を包む。
こうして見ると、やはり端正な顔をしているんだということが嫌でも分かる。
吸い込まれてしまいそうな、薄い栗色の瞳と向き合うこと数秒。
まじまじとただ見つめられているのも何だか気味が悪いし、
これ以上見つめられると穴が開きそうだと真剣に思ったので、おずおずと切り出す。
『…何でしょう?』
大きな二重の目を、これでもかっていうくらい丸くしている沖田。
不意を突かれたというか、何いうか。
そう、例えるなら、まさに鳩が豆鉄砲くらった顔だ。
そんな変なこと言ったつもりなどないのだが。
ただ、もっとマシな言い方があったのもしれないと、今更ながらに後悔した。
『あんた、やっぱり可愛くねェ女でさァ。』
は?人の顔、さんざん凝視した後の台詞がそれですか。
私が可愛くない女だとすれば、沖田は間違いなく失礼な男だ。
くしゃっと笑いながら、むっとしている私の頬を左右から押しつぶす。
あの、これ以上されると、本当に取り返しのつかない可愛くない顔になりそうなので止めてほしいんですけど。
だが、そんな小さな苦情、王子に伝えられるはずもなく。
(だって私、小心者ですから。)
まぁ、でも屈託のない笑顔を見ていたら、ちょっとくらい遊ばれてもいいかなんて思えるから不思議だ。
美形ゆえのマジックだろうか。
こんな寒空の下、薄着のまま廊下でだらしなく笑い合うのも悪くない。
『あ。』
はらはらと雪が、剥き出しの廊下に舞い込んでくる。
そして、もう一つ、招かねざる黒い影がこちらに近づいて来た。
『…総悟、何やってんだ。』
緊張か、恐怖か、後ろめたさか。
その聞き馴れた声の主の方へ、振り返ることができなかった。
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