月光



★第53話 いつもと同じ朝 だけど異なる状況



『明日からしばらく留守にする。』

普通に“おはよう”と挨拶して、右手に私の淹れたお茶、左手にたくさんの資料を携えて。
そう、いつもと全く同じ朝だ。

…気持ちが通じ合った翌日の言葉がこれか!

少しロマンチックな展開を期待していた私は、余程浮かれていたのかもしれない。
少女漫画を夢見る年など、もうとっくに終わったと思っていたのに。
意外と卒業できていない自分の存在を知るなんて、恥ずかしい現実を突きつけられた。

『そうですか。』
『だから部屋の掃除とかはしなくていい。俺が外に行っている間、お前は休みだ。』
『それは有難いです。』

本心とは真逆な態度で、普段通りの可愛くない回答がぽんぽんと出てくる。
正直、寂しいに決まっている。
けれどわがままなど言っても仕方あるまい。
大人しく彼を送り出そう。
自分で言うのも何だが、聞き分けの良い女だな、私。

『お気をつけていってらっしゃいませ。』

こんなことを考えてる癖に、なんだかイライラしてきて、変な意地を張ってしまう。
本当は嫌だけど、これでもかと言うくらい綺麗に笑って見せた。
女優顔負けの演技力を出してやった。

いつの間にこんな贅沢な女になってしまったんだろう。
手とか、髪とか、体温を感じられるところに触れたい。
笑ったり、相槌を打ったり、ただの溜め息だっていいから声を聞きたい。
あなたがそこにいるという事実を、隣にいるという現実を、一緒に時間を共有するという特権が欲しい。

はぁ。なんだか自分の内なるわがままさに嫌気が差してきた。
そんな私を、何かを言うわけではなくただ大人しく見ている。
ただ、何となくだが非常に何か言いたそうに見えたので、伺うように声をかける。

『どうかされたんですか?』
『…いや、もうちょっと寂しがったりとか。こう、なんか、ないかな…と。』

それは全く予期していなかった回答だった。
ほんのり頬を染めながら、ほそぼそと喋る。
定まらない目線で、忙しなく頭をガシガシ掻く。
朝の光を受けて、真っ黒な髪がしなやかに揺れる。

大人の年上の男性に使ってよい表現かどうか分からないけれど、とてもその様子は可愛らしかった。

『…土方さんって、意外と乙男なんですね。』
『…オトメン?』
『…分からないのなら、いいんです。』

お互い同じ気持ちでいることが、こんなにも幸せなことだとは思わなかった。
一人の人を愛することで、たくさんの感情が生まれる。
自分が知らなかったいろんな表情が見えてくる。

『無理をなさらないで下さいね。』

演技なんかじゃなく、強がりなんかじゃなく、素直に微笑むことのできる喜びを知る。

『あぁ、お前も。』

そう言って、とても自然な流れで私を腕の中へ引き込む。
肩を抱く筋肉質の硬い腕が、ゆっくりと髪を撫ぜる優しい手が心地よい。
煙草は嫌いだけど、土方さんの匂いは好き。
大事にされていると実感できるくらい甘すぎる抱擁に、自分の脳がついて行けていない。

…どうしよう。
幸せすぎる。

大好きな人の温もりの中で、落ち着きと安らぎを感じると同時に、ドキドキとうるさくなる心臓。
時計の針はいつものように規則的で、時間はとても穏やかに過ぎて行った。




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