月光



★第56話 ぐちゃぐちゃ



…最悪だ。

よりにもよっていつ会えるかもわからない男に、大事な髪飾りを取られるなんて。
一生の不覚だ。
しかもまた一瞬目をそらした隙に、あっという間に視界から姿を消していた。

一体どんな手を使って屯所内に侵入したのだろうか。
私の前に訪れた理由も、結局正確には分からず仕舞いだ。
相変わらず謎ばかりの男だ。
が、名前が分かっただけでも大きな収穫だと思おう。
そして次の外出の機会にいろいろ調べて、少しでも自分の立場を認識できるよう努めよう。

それにしても、今日の私はひどく疲れた顔をしている。
隈なんて、生まれてこの方できたことなどなかったのに。
平間との再会は、余程衝撃的なものだったに違いない。
目まぐるしい展開に、私の感覚は少しずれてしまったようで。
頭より、心より、身体が一番顕著な反応を返している。

今日から非番でよかった。
こんな顔で土方さんの前にはいれない。
今日から何をするかなんて全然決めてないけど、とりあえずはのんびりまったりしたいなぁ。
なんて呑気に洗面所から自室までの長い廊下をひたひた歩けば、何やら後ろから嫌な空気が。

『あら、今日はあの髪飾りしてないの?』


…最悪だ。

こういった気分の時に限って、必ずと言っていいほど出てくる私の神経掻き乱し女。
さてと、どううまく切り抜けようか。
くるりと彼女の方に向き直る。

『気分転換です。』

とりあえず、お決まりの貼り付けた笑顔で対応する。
その後の彼女の切り返しにより、どんな態度を取るか考えよう。

『…そう。』

あら?一つや二つ、嫌味が返ってくると思っていたのに。
戦闘態勢に入っていた私の予想を裏切って、よのさんは極めて穏やかに私の言葉を飲んだ。

『昔話をしましょうか。』
『…は?』

拍子抜けしてしまって、思わず素っ頓狂な返答をしてしまう。
調子が狂う。
別に嫌味を言われたいわけではないが、どうもこう大人しいと物足りない。
何だかんだで、私はよのさんとの攻防を楽しんでいたみたいだ。
それに話が飛び過ぎていて、何から突っ込んでよいのやら。
昔話と私と、一体どんな関係があるというのだろう?

先日積もった雪はもうとっくに溶けてしまっていて、
ぬかるんだ地面が、朝の太陽に水分を取り除いてくれと懇願しているように見える。
ぐちゃぐちゃだ。
いまいちはっきりしない状況に不満げな表情をする私に、いつものツンと澄ました態度でよのさんは言う。

『どうせ十四郎さんがいなくて暇でしょ。』
『そうですね。』
あぁ、そうですけど。

こう言われると妙に腹が立つのは、私の心が狭いせいだからじゃないと信じたい。
だけど何だろう。
若干元気がない気がする。
って、何で私がこの人の体調の心配をする必要があるのよ。

『…あなたにとっては、興味深い話になると思うわ。』

この釈然としない感覚を、昔話とやらが取り除いてくれると信じて、私はその誘いに乗った。
ここじゃなんだから、ついて来てと、私を導くよのさんの後姿を見て、少しの違和感と胸のざわめきを憶えた。




top

back next