月光
★第57話 絹里という女
『どうぞ。』
『すみません、ありがとうございます。』
初めて入ったよのさんの部屋は、煌びやかな彼女の印象とは違い、とても質素で落ち着いたものだった。
目の前に煎れられたお茶は、とても渋い香りを漂わせている。
『あの、私にとって興味深いってどういった意味なんでしょう?』
『質問は話が終わってからにして頂戴。』
『…あぁ、そうさせていただきます。』
有無を言わせぬ回答。
他にもいろいろ尋ねたいことはあるのだが、一先ず一口茶を啜り、大人しく話を聞こうと姿勢を正した。
昔、絹里という女がいた。
肌は絹のように白く滑らかで、髪は濡れたように艶めいて、明るく愛想も気立ても良く、そして何より若かった。
彼女には好きな男がいた。
その男は全女中の憧れの的。
位が上で顔が良くて、寡黙で不器用で、とても優しい人だった。
私のことなんて、きっと彼は知らないだろう。
今は下っ端で全然相手になんてされていないけど、頑張って昇進したら彼は自分を見てくれるかもしれない。
手の届く地位に就こうと、彼女は一生懸命働いた。
与えられた仕事をそつなくこなし、付加とされた業務も嫌な顔見せず取り組んだ。
そしてその成果が認められ、彼女は彼のお付きになることができた。
『…そっくりでしょう?誰かさんの状況と。』
時が流れ、次第に彼との距離も縮まってきた。
彼女はとても幸せだった。
ずっとこの時間が続くと思っていた。
そんなことを願っていた日、彼女はとある男を紹介された。
位は好きな彼と同じくらい、顔も端正で身のこなしも滑らかで、その男も全女中の憧れの的だった。
だけど、絹里はその男には惹かれなかった。
なぜなら、絹里の一番は他の誰でもない彼だったのだから。
そんな絹里の心を知ってか知らずか、彼はその男と付き合ってみてはどうかと提案した。
憧れていた彼の手前、嫌な顔をして断るわけにもいかなかった。
少々気乗りはしないものの、絹里は男とお付き合いを始めた。
そんな絹里を男は本気で愛した。
気まずくて仕方のなかった言葉の掛け合いも、次第に柔らかいフランクなものになり、
いつしか絹里はその愛に応えようと思うようになった。
それが同情か、愛情かなんて分からないけれど。
それからは穏やかで優しくて、でもときどき刺激があって、幸せな日々だった。
でも、全てがシナリオだった。
絹里が彼に恋をすることも、
絹里を彼の世話付き女中にすることも、
男が絹里に思いを寄せそれを彼に頼むことも。
絹里は、男を誘き出すための道具に過ぎなかった。
『2人は殺されたの。絹里が本当に愛していた男に。』
それはとても静かな、満月の夜だった。
『一番愚かなのは、一体誰だと思う?』
『…。』
駄目だ。思考が働かない。どうしてこんなに眠いんだろう?
『…結局みんな、愚かだったのよ。』
『おやおや、お口のチャックが緩みっぱなしですね。』
『平間…!』
あれ?どうしてよのさんが平間を知ってるの?
私より早くその名を口にした疑問を問いただす前に、靄がかかってくる視界。
だんだん遠くなる意識の中で、
“…あなたは私の動向より、自分の身の心配をした方が良い。”
という平間の言葉だけが、なぜかはっきりと思い出された。
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