月光



★第60話 宣告



はっきり言って、どうやって部屋に戻ったかなんて覚えていない。
ただ怖くなった。
一緒にいた人が急に消えてしまったことが、怖かった。

布団の上で膝を抱いて蹲る。
『体調はいかがですか?』
相変わらず心臓に悪い登場の仕方をする男だ。
思いっきり嫌な顔をしてやりたいが、その逆をついて綺麗に微笑んで見せた。

『…最悪よ。一体どういうことかしら。』
『何のことでしょう?』
『とぼけないで!』

冷静になろうと思ったところで、そんなの無理な話だ。
もう何もかもがイラつく。
きっとすべてこいつのせいなんだ。

『よのさんに何をしたの。』
『消しました。あぁ、殺した、といった方が正しいでしょうかね。』

パチンッ!!!

『…私、人をここまで憎いと思ったの、初めてだわ…!!』

こんなときでさえ美しく優雅に微笑む男に、憤りを感じずにはいられなかった。
人の頬を叩いたのは、本当に初めてのことだった。

『私に薬を盛ったのもあなた?!』
『…ご自分の身の心配ですか?』

カッとなった。
我を忘れて飛びついた。
大の男に馬乗りになって、土方さんより数倍細くて白い首に、両手を這わせた。

力を入れているはずなのに、震えで思うように絞まらない。
焦りと怒りと行き場のない悲しみと、いろんな感情が混じり合って交錯する。
そんな中、戸惑いや躊躇を振り払い、ぐっと思いきり喉仏を圧した。
次の瞬間、今まで体験したことのないくらい激しい圧迫感が私を襲う。

『カハッ…!!』

思わず前のめりに倒れる。
何で私が苦しくなるの…?!
絞めたのは、平間の首なはずなのに。

『気付きました?私が傷つくことは、あなた自身の身を滅ぼすことになるのですよ。』

枕に顔を埋めたまま起き上がれない私を優しく抱きあげ、自分と視線を合わせるように座らせる。

『ハァ…、ハァ。…どういう……。』
『8月22日。何の日でしょう?』
『…私の、誕生日…。』
『私にとっては命日です。』
『…死んだ日?』

今、私の目の前に存在する平間は、死人だというのか?
私は霊感なんてこれっぽっちも持ち合わせていない。
なのに、どうしてこんなにくっきりはっきり見えて、しっかり触れるのだろう。

『あなたは僕の生まれ変わりなんです。』
『…まさか。』

鼻で笑いたくなるような展開。
だけどフィクションの世界でなら、こいつの言ってることでも筋が通る可能性だってある。
まったく現実味のない状況だが、悔しいことに今の私には平間の言葉しか信じられるものがないのだ。

『私の世界とあなたの世界を繋ぐものは、一体何だと思いますか?』
見当もつかない。
『精神体、即ち“魂”です。
そして、魂がこれらの世界を行き来するのを助けるのは、帰る身体を失った彷徨える魂なのです。
そう、まさに私のようなね。』
だったら今ここにいる私も、ただの精神体というのだろうか。


『あなたに、元の世界に帰る方法をお教えしましょう。』
『…どういった風の吹きまわしかしら。』

抵抗できないことを知ってか知らずか、未だ肩で息をする私の背をさすりながら、耳元でこう告げる。


『魂の存在を抹消すればよいのです。こちらの世界で死んでください。』


そのとき、平間がどんな表情をしていたかなんて分からなかった。
だけど、きっと、美しく優雅に微笑んでいたに違いない。




top

back next