月光
★第63話 ずるい人
『今いいかって、お前何してっっ!!!』
『きゃ…』
きっちりと隊服を着こなした土方さんは、素早い身のこなしで私の手から凶器を奪う。
そして、乱暴に引き千切られた綿の紐は、畳の上に放り出された。
もう、首を一回りするほどの長さもない。
『…ただの一人遊びですよ。』
至って平然と答えてみせる。
『そりゃぁ、随分と物騒なお遊びなことだな。』
怒っている、気がする。
自分でも下手な言い訳だと思う。
こういう時に限って、上手い言い訳が思いつかない。
自分に非がある状況を見られてしまった妙な罪悪感の中、目を合わすこともできない。
切り返しが思いつかないのならば、いっそのこと話をそらしてしまおう。
『土方さんは一体どういったご用件で…『傍にいるって、約束してくれるか?』
繊細なドライフラワーを扱うかのように、ひどく優しい手つきで抱きしめられる。
その切ないほど苦しい声音で問われた質問に答えることも、煙草の香る大きくて愛しい背中に応えることもできない。
嘘でも演技でも“はい”と頷くこともできない正直な性格だし、
ただただこの温もりを享受していたいと願ってしまう駄目な女だ。
繊維に反して千切られた紐の断面が、私の硬い髪とともに風になびく。
このまま逝けたらどんなに幸せなんだろうと、静かに目を閉じた途端、肩を抱かれ2人対面する状態になる。
一体何だろうと、伏せていた目を彼の切れ長な目と合わせた。
『俺はお前を一人の女として愛してる。』
真実を求めようとする、真摯かつまっすぐな視線が一心に注がれる。
どうしてこの人はこんな時に限って、私の決断を鈍らせる言葉を選りすぐって発するのだろう。
『何でお前の髪飾りが、事件の現場に落ちてたんだ…。』
あぁ、夜の闇に溶け込んだ悪事を、この満月は静かに照らしてしまったのか。
この髪飾りがクリップ型でなく簪だったら、一気にあなたの前から消えることができたのに。
『答えてくれ…。』
そうすればこの人の苦しむ様子を、これ以上見なくて済むのに。
自分のせいで追い詰められる様子を、これ以上知らずに済むのに。
『そうだと言ったら、あなたは私を殺しますか?』
強くなった腕の力を、否定を望む淡い期待を、残酷に突き放す。
チャキ…。
『お前、それ本気で言ってんのか…!!!』
喉元に突きつけられた、手入れの行き届いた刀身の長い真剣。
まさかこんな短い期間で、2回も真剣で威嚇される機会に遭遇するなど、平成の世の中ではあり得ないだろう。
覚悟を決めれば人間冷静になれるもので、二度と引き返せない状況にするために剣先を鷲掴みする。
引けば指が、押せば喉が、切れてなくなってしまうだろう。
『お前っ、何やって!!!!』
手の平から溢れた血が、手首を伝う。
先に手を討ってきたのはそっちなのに、そんなに焦るなんて。
迷いや戸惑いの表情を、そんな簡単に私に見せるなんて。
最後くらい、あなたを愛したことを憎ませて逝かせてほしかったのに。
愛されていたんだという愚かな錯覚を感じさせるなんて、あなたはずるい人。
私はあなたを陥れようとした悪の手先なの。
あなたは強く、正しいことをしたと、胸を張っていてくれればそれでいいの。
ほら、最上級の笑顔で
『…さようなら、土方さん。』
お別れをしよう。
『っっっ!!!!』
こんなときに名前を呼ぶなんて、十四郎さん、あなたは本当にずるい人。
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